山中温泉について ABOUT YAMANAKA

温泉はもちろん、歴史に自然、伝統文化に食と
さまざまな魅力を持つのが山中温泉です。
山中についてのあれこれを知ってから訪れたなら、
旅の楽しみも一層深まることでしょう。

山中温泉の歴史

山中温泉の歴史

山中温泉の歴史は古く、今から1300年前に奈良時代の高僧・行基が発見したと伝えられています。行基は丸太に薬師仏を刻んで祠を造り、温泉のお守りとしました。多くの人が山中を訪ね、その湯で病と疲れを癒したとされます。

時は過ぎて平安末期の治承の頃。能登の地頭・長谷部信連は一羽の白鷺が傷めた足を山陰の小さな流れで癒しているのを見つけます。その場所を掘ると5寸ばかりの薬師如来像が現れ、美しい温泉が湧き出しました。信連はここに12件の湯宿を開き、それが山中温泉旅館の始まりと語り継がれています。

さらに長い時を経た元禄の頃。俳聖・松尾芭蕉が弟子の曾良を伴って日本各地を旅した奥の細道の途中、元禄2年7月27日に山中温泉を訪れています。芭蕉は山中の湯を、有馬・草津と並ぶ「扶桑の三名湯」と讃え、「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」の句を読みました。

9日間も山中に逗留した芭蕉は、薬師堂を詣で、温泉につかり、風光明媚な景色を心から楽しんだと言われています。以来300年余の時が流れた今もなお、ここ山中の地にはこんこんと湧く出湯と豊かな自然、日本の美と心が受け継がれているのです。

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〈山中は古九谷の発祥地〉

〈山中は古九谷の発祥地〉

〈山中は古九谷の発祥地〉

「古九谷」は17世紀以降に焼かれた色絵磁器です。その発祥はおよそ300年前、大聖寺初代藩主前田利治が家臣の後藤才次郎と田村権左衛門に山中温泉上流の九谷村に窯を築かせたことに始まるとされ、今なお世界的に高く評価される名陶の数々を生みだしました。
ところが古九谷はわずか50年余りで歴史の表舞台から忽然と姿を消してしまいます。その理由には諸説があるものの、未だに解明はされていません。奥山中に古九谷窯跡があり、現在も発掘作業が行われています。

山中温泉の自然

緑豊かな山々に抱かれ、渓流の流れに寄り添うようにある山中のまち。美しい渓谷の風景の中をそぞろ歩くのも山中温泉の楽しみ方のひとつです。山中を流れる大聖寺川沿い、黒谷橋からあやとりはしを経てこおろぎ橋までは鶴仙渓遊歩道が整備され、四季折々の彩りを見せる山中の自然を存分に楽しむことができます。

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山中温泉の文化

山中温泉は、日本を代表する伝統文化が今なお息づくまちです。安土桃山時代から現代に伝わり、山中を日本有数の漆器産地とした「山中漆器」、日本三大民謡のひとつに数えられる「山中節」、山中が発祥の地であり世界的に評価の高い色絵磁器「九谷焼」など、山中の地に伝わる数々の伝統美にふれることができます。

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山中温泉の食

山中温泉の食

山中温泉の食

山間にありながら日本海が近く、加賀・橋立漁港から新鮮な魚介類が届く山中温泉は、冬のズワイガニや香箱ガニ、ブリや甘エビに代表される日本海の幸を堪能できる温泉地です。ちなみに、料理の鉄人として知られる道場六三郎氏は山中温泉の生まれです。ふるさとをこよなく愛し、頻繁に山中へと帰省する道場氏の料理へのこだわりは、山中温泉の美食へのこだわりに通じているのかもしれません。

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山中温泉の温泉

山中温泉の温泉

山中温泉の温泉

山中の温泉は身体の芯までしみわたり、身も心もうるおすと芭蕉が称賛した日本三大名湯のひとつ。芭蕉の句「山中や 菊は手折らじ 湯の匂ひ」から命名された総湯・菊の湯は、開湯以来1300年変わらぬ場所で今も昔も多くの人たちに親しまれています。

〈泉質・泉温〉
カルシウム・ナトリウム一硫酸塩泉、48.3度
〈主な効能〉
神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、打ち身、慢性消化器病、痔病、冷え性、病後回復・疲労回復・健康増進、動脈硬化症、切り傷、やけど、慢性皮膚病、運動麻痺
〈飲泉〉
可能 (胆石、慢性便秘症、肥満、糖尿病、痛風)
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