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ようこそ山中温泉へ。

山中温泉の歴史

温泉縁起絵巻
温泉縁起絵巻
絵図

その昔奈良に都があった頃、行基という偉いお坊さんが加賀の国を尋ねました。
菅生のお社に辿り着くと、山の向こうに美しい紫雲がたなびき、これは不思議と山に入れば八十余りの老僧に出会い、「ここには人々の病を直す結構な温泉がある。

昔のこおろぎ橋
昔のこおろぎ橋

熱くもなし、ぬるくもなし、掘るべし」と言って姿を消されました。
そこで行基はお伴の侍・狩野遠久と掘ったところ、あふれるように温泉が湧いてきました。
その夜、行基の夢枕に再び現れた老僧は「われは薬師如来の化身なり。永くこの湯を守るべし」と告げ、目覚めた行基はこれを喜び、丸太に薬師佛を刻んで祠をつくり温泉のお守りとしました。
以来山中には多くの人々が病気を治しに訪れ、疲れを癒したとされています。

それから数百年の後、戦国の世となって温泉は廃れ、山は元の静けさに包まれました。
ところが平安の終わり治承の頃、能登の領主・長谷部信連がこの地を訪れ、鷹狩りをされたときのことです。
一羽の白鷲が山かげの小さな流れで足の傷を癒していました。
これを不思議に思い近づくと、一人の娘がどこからともなく現れ「私は薬師如来なり、ここには昔から人々の病を治すよい温泉がある。永くお前の来るのを待っていた。再びこの温泉を開かれよ」と言うや、白雲に乗ってはるか遠く に消えていきました。
信連は怪しみながらもそこを掘ると、芦原の中から五寸ばかりの薬師如来が現れ、美しい温泉がこんこんと湧き出てきました。
驚きも喜んだ信連は、ここに十二軒の館を築き、人々のために湯宿を開いたのが、山中温泉の旅館の始まりだと語り継がれています。

娘娘踊り
娘娘踊り
昔の菊の湯
大正時代の菊の湯

古九谷

山中は、九谷焼のふるさと

九谷焼発祥の地の窯跡
九谷焼発祥の地の窯跡

古九谷は今からおよそ300年前、大聖寺初代藩主前田利治が家臣の後藤才次郎と田村権左衛門に、山中温泉上流の九谷村で窯を築かせたことに始まるとされています。
彼らは山の斜面を利用して登り窯に工夫を重ねたり彩色のために朱の石を探すなど、様々な苦心と努力の結果、世界に誇る名陶を生み出しました。
村のお社にはその記念として「明暦元年、田村権左衛門」と記された徳利一対が奉納され、現在も村の宝として大切に保管されています。